富永京子サンによる大労作『ビックリハウスと政治関心の戦後史』読了。
1961年生まれ、まさにこの研究対象の時代、この価値観にある意味ドップリだった身としておっかなびっくり読み始めたのですが、結論部分の一文(P287)を噛み締め、よくぞ言ってくださったとウルッとしてしまった次第(間違った感想かw)。
要するに。音楽に准えるならパンク・ニューウェイヴ、ということなんですボクらは(と代表者ぶるのもなんですが)。先行世代の在り方に違和感を抱き、組織や運動体による拘束を嫌い、既存のカルチャーを対象化していく中で、ボクらなりに社会と向き合いつつ、新しさを見出していた80年代。
「人の数だけ世界観があるのに気付いてコワイ」といった趣旨の投稿も見かけたヘンタイよいこ新聞。近田センセイの決めゼリフは「世の中色々あるぞ」。そしてヘラヘラとひねくれたジョークを撒き散らし、何かの意思表明はなんとなく避けながらモヤーっとした空気感を享受する。でも「ゴミにブチ込め権力」とサラっと唄うムーンライダーズにコッソリとうなずく。
あの気分、価値観がどの程度の範囲で共有されていたのか分かりませんが、少なくとも当時の一般的な言論空間の風通しの良さは今と比較になりません(まあ、ネットもSNSも無かったし)。
その後ボクらも歳を取り時代も社会も変わり、いつまでも仲間内だけでニヤニヤしていられない、世の中もっと差し迫ってきたと感じる日々。
ただ、数十年経て改めて、あの時代に生み出された冷笑的態度、事象をおちょくるスタンスが、その後の世代に与えてしまった悪影響を目の当たりにして、言いようの無い後ろめたさに苛まれてもいるのです。